「山田方谷『理財論』」の著者は、さきに「真釈 佐藤一斎『重職心得箇条』」を刊行している。 一斎の「重職心得箇条」は、ありうべき人物の条件を示したもの。 また、方谷の「理財論」は、改革の理念と方法を講じたもの。 つまり、この二書の独自性は、人物論に発して政治論に熟したところにもとめることができよう。 本書の目次を見ると、「理財論」の真髄をわかりやすく伝えようとする著者の意志がにじみ出ている。 「重税への疑問」「哲学の重要性」「泰平の世の陥穽(かんせい)」「原点への回帰」「財の外に立つ者」「財の内に屈する者」「為政の目標」「理想の国家」「歴史に学ぶ」「指導者の器量」「理財論を問う」「天命と人道」「弱小国の憂い」「孟子の教え」「正道を邁(まい)進する」「適切な利潤」「近道は無い」の十七条がそれである。 この項目見出しを見てあきらかなことがいくつかある。 一つは、問題発見的態度の重視。 二つは、<道>の思想への傾斜。 三つめは「理財論」を超えるものへの視点。 山田方谷(1805〜77)は、破たんに瀕(ひん)していた備中松山藩を八ヵ年で再建した。 その方法は、「理財論」を実行した結果であると言われる。 本書を繙(ひもと)くもののよろこびの一つは、そうした実績を生む力がどこからくるのか、その秘密を知ることができるところにあろう。 方谷の「理財論」は、いわば<守・破・離>の理念に立った改革マニュアルだ。 しかし、儒者方谷の心肝を染めていたものは、<清明観>であったことを見のがしてはなるまい。 <清明観>とは、この国が永年にわたって追求してきた民族の理想である。 つまり「清く正しく美しく」ということ。
山田方谷と本書の著者を結ぶ熱いこころざしの源泉もまた、そこにあろう。
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推薦の言葉
二松學舎大學 理事長 山田安之(山田方谷玄孫)
平成14年4月30日
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このたび、山田方谷の「理財論」が、深澤賢治氏による訳出と現代的な解釈が加えられて出版されることになった。これは、昨今のわが国の社会情勢を顧みるとき、まさに時宜を得たものであり、喜びにたえない。
「理財論」(「論理財」・理財を論ず)の原著は、上下二篇からなる論説であり、方谷が江戸の佐藤一斎塾で学んでいた三十二歳前後の作である。
山田方谷は、幕末の備中松山藩(岡山県)の藩主板倉勝静(楽翁松平定信の孫)のもとで、元締(財務大臣に当たる)として、藩の行財政改革、教育改革等、藩政全般にわたって手腕を発揮し、目ざましい成果をあげたことで知られている。
特に、その中で、近年評価が高いのが財政改革であり、その改革の成功は、大局的立場に立った財政政策の総合的展開と多くの協力者の努力の結集により実現したものであるが、同時に、その改革は「理財論」を実践に移したものであると言われ、「理財論」で説いた内容が現実的な政策としていかに有効なものであるか、方谷自らが実証した点でも注目に値する。
ところで、本書の著者、深澤賢治氏は昭和四十四年本学を卒業後、利根警備保障株式会社(現「シムックス」)を創立、群馬県を中心に関東、東北地区に積極的に事業を拡大し、総合警備業シムックスグループを育てあげた。
著者は企業経営者として多忙な日々を過ごしながら、経営者が中心となったグループで研究会を組織し、「論語」を中心とした中国の古典をテーマに取り上げ勉強を続ける傍ら、企業の研修会、カルチャーセンター等で講演活動を行う情熱にあふれた実業家である。
今回は、今年二月に佐藤一斎の「重職心得箇条」を小学館文庫から上梓しているので、それに次ぐ同文庫二冊目の刊行であるが、著者の事業経営の立場での体験と勉強会を通じた多くの人々との交流によって磨き上げられた感性と見識が文脈に溢れており、多少専門性のあるテーマを読みやすく、含蓄に富んだ好著としてまとめている。
本書の発刊を機に、改めて山田方谷の「理財論」を読み返すとき、方谷が財政改革を行った江戸時代末期から約百五〇年を経過した日本は、歴史の変遷の中で、いま再び大きな社会構造転換の時にあり、当時ときわめてよく似た経済、社会状況に直面している。
政府は日本の再生をかけて行財政改革に取りくみ、民間企業は経済再生へ向けて経営合理化をすすめているが、その成果は思うようにあがっていない。このような時、私は、「理財論」に述べられている次の言葉が、きわめて重要で示唆に富んでいるものであると思う。
「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財のうちに屈す。」
本書を座右の書として推薦する所以である。
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