平成27年8月28日(金)
「今抱えている不安はどうすればいいのか教えてほしい」。
そう質問される人もおありでしょう。
この疑問に対するほとけさまの答えは、「即今、当処、自己」というもの。
「今の自分をそのままに生きよ」と教えています。
つまり、不安を解消しようとせず、その不安を抱えたまま生きなさいということ。そのためには、不安と向き合い、それを上手に飼いならしていく術を持つことが大事です。
こんなことを言うと驚かれるかも知れませんが、かく言うわたしにだって不安になることはあるのです。
たとえば、講演会の直前などは緊張しますし、大勢の人を前にして演台の前に立ったときはあがりもします。
そうした意味で言うと、わたしにも欲があるんですね。
講演を聞きに来ている人たちに喜んでもらえるような話をしなきゃという欲望が。
だから不安になるのです。
では、わたしが、どのように自分の不安と向き合っているかといえば、「必ずあがる」ということを前提にして講演に臨む。ただそれだけです。
そして、緊張と不安を抱えたまま、舞台に上がり、そこで司会者の人が「今日はお忙しい中お運びいただきました」などと言えばこれはしめたもの。あがっている自分をリカバーする糸口は見えたようなものです。
「今、司会者の方はお忙しいとおっしゃいましたが、わたしは忙しくなんかありませんよ」
と言うんです。
すると、みなさんきょとんとした顔をされる。そこで「忙しいのではなく、ただスケジュールが過密なだけです」と、つけ加えてもまだ分からないという顔をされている。
ここでタネあかしです。
「忙しいという字を見てください。この字は、りっしん偏に亡ぶと書きますね。これは心を亡くすという字です。わたしは、心を亡くしていません。心を持って、この講演会に臨んでいます」と言うと、会場も「ほー」となって、わたしのあがりも解けるのです。
つまり、わたしは、人前で話す直前は、いつでも緊張するし不安にもなる。舞台に立って会場を見渡せば必ずあがる。これを前提として、そのときの状況次第で、臨機応変に対応する。
これがわたしの不安とのつき合い方です。
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『けちのすすめ −仏教が教える小欲知足−』 ひろさちや著 朝日新聞出版 P52〜54
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平成27年7月28日(火)
<一社員の訴え>
「社長、どうか私のことを見捨てないでください」
と平身低頭して懇願した社員は、同時に、ある企画を出してきた。
森林組合連合会の顧客から、シカによる食害をふせぐ新たなネットを依頼されたので、その開発をぜひ自分にまかせてもらいたいというのである。
1997年のそのころにはすでに、シカによる食害が全国の農山村で深刻になっていた。
卸売りの専業の会社が、ものづくりに手を出す身の程知らず≠ノはためらいもあったが、もうそんな悠長なことを言っていられる場合ではない。ベテラン社員の懸命の訴えに賭けてみようと野々内さんは思った。
この新型ネットは、当時の森林開発公団(現在の「独立行政法人・森林総合研究所 森林農地整備センター」)を通じ、予想をはるかに上回る速さで、近畿一円から四国・中国へと普及していく。
農林水産省によれば、1999年には49億円だった被害総額が、2011年度には83億円にまでふくれあがった。環境省は、北海道をのぞく全国の都府県で、ここ20年間にシカの数が9倍近くにも増えた可能性を指摘している。
(略)
グリーンブロックネットやイノシッシ、ビリビリイノシッシなどの獣害対策用品は、2001年度こそ4400万円ほどの売り上げにすぎなかった。ところが、右肩上がりでぐんぐん伸びていき、2013年度には驚くなかれ7億円にまで達している。この12年間で、16倍もの急上昇を見せたのである。いまや近江屋ロープの全売り上げの半分以上を占める、堂々たる主力商品に大化け≠オたのだった。
(略)
「見捨てないでください」と必死にうったえてきたベテラン社員ら全社員をひとりも見捨てなかったからこそ、近江屋ロープは世間から見捨てられずにすんだともいえるのである。
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『千年企業の大逆転』野村進著 文藝春秋 P37〜45
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平成27年7月6日(月)
人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。この事実に気づいている人は、はなはなだ少ないように思われる。しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。すなわち、みずから動きたくなる気持ちを起させること――これが、秘訣だ。
かさねていうが、これ以外に秘訣はない。
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『カーネギー人生論』D・カーネギー 山口博・香山晶(訳) 創元社 P78より
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平成27年6月4日(木)
南宋の有名な哲学者・朱子とほぼ同じ時代に生きた、見識ある官史に朱新仲という人がおりました。
一 「生計」・・・・われ、いかに生きるべきか。人々は一般的に生計と言うと生活、暮らしの意味にとっておるようだが、彼はもっと大きないわば「天地の大徳」を受けて生きる人間の本質的な生き方に迫っているわけであります。
二 「身計」・・・・いかにわが身を人間として社会に対応させていくか、何をもって世に立つか、いかなる職業、価値観をもって生きていくかということ。
三 「家計」・・・・これも、単に経済的な意味ばかりでなく、家庭というものをいかに営んでいくか、夫婦関係、親子関係はどうあるべきか、一家をどう維持していくかということであります。
四 「老計」・・・・いかに年をとるか、人間は誰も生きているからには老いる。ことに日本は今や世界一の高齢化社会になり、老いることの難しさをひしひしと感じる昨今である。老後の生活とか健康ぐらいしか考えないが、「老」たるものの価値を生かしていかなければ、ただ寂しく年をとるというに過ぎないのであります。
五 「死計」・・・・われ、いかに死すべきや。これについて思案の最も発達しているのは、言うまでもなく仏教ですが、儒教においても興味のある思案と実践がある。
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『人生の五計』安岡正篤著 発行安岡正篤先生生誕百年記念事業委員会 発売MOKU出版P14〜P15
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平成27年5月1日(金)
第3章「いい考え」のための準備
考えて、考えて、考えぬく
「いい考え」の出現にとって、十分なデータや知識の収集が、まず必要である。では、つぎに何をするか。データをもとに、考えることだ。
とにかく考えぬいてみること。考えて、考えて、考えぬく。考えぬかないうちには、「いい考え」など生まれない。「いい考え」の触発剤として、情報や物質などの外的要因が作用するためには、まず考えぬくという作業が前提になければダメだ。ようするに、問題を“問題として”つねに認識していなければ、問題を解くキッカケが現れても、意味が感じられないということになる。
印刷機を発明したとされるグーテンベルグ(1399〜1468)の場合はどうだったか。彼はもともと、本をつくる仕事にたずさわっていた。あるとき彼は、聖書の複写の注文を大量にうけた。彼は、どうしたらよいのかわからず困りはてていた。
彼はその大口注文の仕事を、どのようにして仕上げたらよいのか。何カ月も考えた。一つの案として、ハンコのようなものを作って紙に強く押しつければ、同じようなものを大量に刷ることができるのではないか……と考えたが、では具体的にどうやってよいのかわからずに悩んでいた。彼は考えに考え抜いた。しかし答えは見つからなかった。
そんなある日、彼は近くの農家からぶどう収穫の宴に招待された。出かけてみると、男たちがワインを作るため、収穫したぶどうを「搾り機」にかけているところだった。
ところが、この「搾り機」を見た瞬間、彼の脳裏にパッとある「いい考え」がひらめいた。この「搾り機」から、版面上に紙をおいて上からこする、従来の方式ではなく、押圧方式の印刷機を考案した。これが世界初の活版印刷機である。この発明を可能にしたのは、“考えに考えて考えぬく”という人知れぬ努力だった。
しかし、ものごとをずっと考え続けていて、いい考えがうかばないと、徐々に考えがネガディブになりがちだ。そうならないために、意識してポジティブに考えることだ。肯定的に考え、プラスに考えることだ。
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『ひらめく人には理由(わけ)がある』斎藤勇著 日本教文社 P61〜P63
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平成27年4月2日(木)
高い税金はどうして国を貧乏にするのか
税額と統制の度合いは正比例する
税金は高い国がよいか、安い国がよいか。
これはもう絶対に安い国がよいに決まっている。税金が高い国は、国民が不幸で政府の役人が幸福と、昔からそう決まっている。古来国の力がだんだん弱まって、ついに潰れるようなことがあったら、それは税金を高く取りすぎたせいだと断定してもよいくらいである。
(略)
元気がないかと言うと、税金の制度疲労ではないかと思われる。
(略)
日本国民を卑屈にした高率課税
今の税金システムのいちばん悪い点は何か。三つある
一つ目は、日本国民を卑屈な、矮小な人間にしてしまった点である。
(略)
二つ目は、一定以上の収入が見込めるようになった途端、それ以上の努力をプラスに向けずに、節税というマイナス方向に向け始めることだ。富を生む能力のある人が、これ以上は富を生産せずに、税金を取られない工夫に大きなエネルギーを使い始め、いつの間にか節税が仕事になってしまう。
節税とは合法的な脱税だから、そんな人を許すなという意見があるが、それは大間違いである。善良な人にこうした行為を強いる税制の方が悪いのである。労働によって富を生むことを空しく思わせるシステムは、どんなに美辞麗句で飾られていても、絶対に正しくない。
三つ目は、政府が国民から自由を奪い取ってしまうことである。それは、税金が増える分だけ統制の度合いが進むため。
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『税高くして国亡ぶ』渡部昇一著 WAC BUNKO P14〜P19
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平成27年3月4日(水)
私は七十三歳である。
七十過ぎた頃からなんとなく、「自分はあと何年生きるのだろうか」「自分はいつ死ぬのだろうか」と漠然と考えたり、関心を持つようになった。余命を意識し始めると、一般的に「生きている間にこういうことをやっておこう」「あれもやっておかなくてはならない」と考えがちになるものだが、私はというと、
「では実際、自分はあとどのくらい生きるのだろうか」
と知りたくなった。旧知の生命保険会社の友人に頼み、『余命表』というものを取りよせたのである。
この余命表は、保険のプロが試算したものだから、それなりに根拠と科学的資料を基につくられていて信用できる。これを見て私は一つの「発見」をした。
それまでは、日本の男性の平均寿命は七十九歳なので、七十歳の私は「あと九年ある」と思っていた。これは私にとってはいわば悪いニュースだ。
ところがいいニュースを余命表に発見した。
「あなたはあと十四年と五ヵ月生きますよ」
と、過去のデータからは推測されているのだ。
これは明るい知らせだ。
あと十四年と五ヵ月―。
「ああ、僕は八十四、五歳で終わるんだな―」と思った。
ところが、それから三年後のこと―。余命表を再びひっぱり出して調べてみると、今度は、「あと十二年と四ヵ月は生きますよ」
いう数字が出ている。この余命表を見るまでは、日本人の男性の平均寿命七十九歳が、いつも私の頭の中の目安にあったので、「あと何年と何ヵ月で、平均寿命が終わるな」となんとなく思うことが多かった。
ところが、余命表を知ると、八十五歳と四ヵ月に延びた。
本当に寿命が延びる数字が出ているから嬉しくなる。しかも、これは保険会社の膨大なデータから算出し分析された平均値である。ますます勇気が湧いてくるではないか。
「僕はもっと生きるんだな」と思えるようになったことは大きい。
父、信胤は常々、「自分は九十四歳で死ぬ」と、まだ七十代の頃から広言していた人だったが、九十歳の時に、
「自分はまだ四年も生きるんだな」と、
妙に自信を持って言い、九十二歳の時には、
「あと二年しかないのか」とは言わずに
「僕もなかなか死なないなあ」と笑っていた。
同じ年代の人間が集まる会合に出席すると、
「この年になると、まだまだ残っていて、兎と亀の追いかけっこじゃないけど、なかなか死ねないねえ」
と大笑いしていた。そして自分の言葉通り、九十四歳で亡くなった。
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『日本人の見識』木内孝著 日本文芸社P26〜P28
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平成27年2月3日(火)
がん治療薬は自己負担、安楽死なら保険適用
リーマンショック以降、1930年代大恐慌以来の不況を迎えたアメリカは、想像を絶する貧困大国と化している。2014年にカリフォルニア大学バークレイ校経済学部エマヌエル・サエズ教授とロンドン経済大学のガブリエル・ザックマン教授が行った調査によると、アメリカでは資産2000万ドル(20億円)以上の上位0・1パーセントが、国全体の富の20パーセントを所有しているという。
全体の8割を占める中流以下の国民の富はわずか17パーセント。7秒に一軒の家が差し押さえられ、労働人口の三人一人が職に就けず、六人に一人が貧困ライン以下の生活をするなか、年間150万人の国民が自己破産者となってゆく。
自己破産理由のトップは「医療費」だ。
アメリカには日本のような「国民皆保険制度」がなく、市場原理が支配するため薬も医療費もどんどん値が上がり、一度の病気で多額の借金を抱えたり破産するケースが珍しくない。国民の三人に一人は、医療費の請求が払えないでいるという。
(略)
アメリカには65歳以上の高齢者と障害者・末期腎疾患患者のための「メディケア」、最低所得層のための「メディケイド」という、二つの公的医療保険がある。このうち州と国が費用を折半するメディケイドの受給条件は、国の決めた貧困ライン以下の住民が対象だ。
だがオレゴン州では「できるだけ多くの州民に医療保険を」と考えた民主党議員を中心に、独自の医療保険制度「オレゴンヘルスプラン(OHP)」を設立していた。バーバラのような、メディケイドを受給するほど最底辺ではないが所得が低くて民間保険に入れない者は、OHPを通して民間保険に加入することができる。
OHPの医療費支払いには「いのちに関わる医療行為から、改善の見込みが低い治療」まで、州独自の基準で優先順位がつけられていた。3年前、まだ初期ステージだったがん治療費用をOHPが支払ってくれたときのことを思い出し、バーバラはなんとか気持ちを落ち着けた。病気の再発はショックだが、まだ希望はあるのだ。
だがその希望は、後日OHPから届いた一通の手紙によって、打ち砕かれることになる。
<がん治療薬の支払い申請は却下されました。服用するなら自費でどうぞ。代わりにオレゴン州で合法化されている安楽死薬なら、州の保険適用が可能です>
州からの支払いがなければ、バーバラのような低所得患者がひと月4000ドル(40万円)のがん治療薬代を支払うのは不可能だ。だが1回50ドルの安楽死薬なら、自己負担はゼロですむ。
のちに、この手紙について地元のテレビ局に聞かれたOHP事務局の担当者は、治る見込みのない患者に高い医療費を使うよりも、その分他の患者に予算をまわすほうが効率が良いと発言し、波紋をよんだ。
アメリカの多くの州がそうであるように、オレゴン州も財政難に苦しんでいる。OHPも発足六年目で費用が二倍にふくれあがり、2004年には新規加入者の受付を停止せざるをえなくなった。
そしてその後ずっと、事務局長が言うように、コスト削減のプレッシャーにさらされ続けているのだ。
人生の終わり方を自分で選ぶという崇高な目的をかかげて導入された<尊厳死法>はいつの間にか、ふくれあがる医療費に歯止めをかける最大の免罪符になっていた。
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『沈みゆく大国アメリカ』 堤未果著 集英社新書P28〜P35
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平成27年1月8日(木)
人は、その性格に合った事件にしか出会わない
受信しつづけ、吸収してやまない人ということでは、渋沢栄一の名前を逸することはできません。
(略)
渋沢栄一の性格が、渋沢を<パリ行き>という事件と出会わせたのです。
(略)
パリの渋沢栄一は、何をしていたのでしょう?彼はパリがどこにあるかも知らなかったのに、パリに来ると例によって、パリとは何か、パリのすべてを知りたくなったのです。
(略)
パリとは何かを勉強しよう―そう思って、一生懸命パリを見て回って記録するんです。見て、「これは」と思ったことは全てノートを取る。
町を歩いていると下水道が流れていた。その水はマンホールの中へ入り、スッと消えてしまう。渋沢には、それが不思議でたまらない。川というのは、ずっと流れていくものだ、それが途中で消えちゃうなんて、これは何だ。今のわれわれには当たり前のことですけれども、当時の日本にはそんなものはありません。渋沢は驚いて、「その蓋(ふた)をちょっと開けてくれ」とパリの役人に頼むのです。
マンホールの蓋を開けてみると、中には水路があり、下水はずっと下へ流れ落ちていっている。「これはどこへ行くんだ、ちょっと中へ入れて見せてくれ」とまた頼む。いったい水はどこへ行くのかと渋沢は奥へ、奥へと入っていく。入っていくと、また別な水路が流れてきて、合流してくる。さらに奥へと進んでいく。
パリの下水道の中は大きくて、人が歩けるようになっていますから、渋沢はどんどん歩いていきます。歩けないところは管理用の小舟に乗る。下水ですから、当然ものすごく臭い。案内人はイヤな顔をしますが、渋沢はまったく頓着せず、とにかく知りたいとだけ思い、パリ全市の下水道を見てまわる。
これは決して、下水道を研究して、やがて日本へ帰った時には下水道を作ってうんと儲けようとか、そんな欲から来ているのではない。ただ、今自分の置かれている場のすべてを知りたい、パリとは何かを知りたい、という欲求があるだけです。つまり、下水道というものがパリという都市を、フランスという文明を支えているのだと、渋沢は見たのですね。日本にはない下水道が近代文明を支えているらしい、これはいったい何なのだろうか。そんな疑問に突き動かされて、彼はあらゆる下水道を見て回って、詳細な記録を書くことになります。
渋沢は一事が万事、こうなのです。
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『少しだけ、無理をして生きる』 城山三郎著 新潮文庫P21〜P37
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