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ぶらり旅(平成23年6-8)

平成23年08月01日(月)
■平成23年7月20日(水)~22日(金)  大阪~京都 

<安政南海地震津波の石碑>
 先月は大津波から復興を遂げた奥尻島に行ったが、今回は大阪を襲った津波について書かれている警告の石碑を見て来た。
 俗に、<安政大津波の碑>と言われている石碑だが、最初に浪速区役所へ行ってみたら、丁寧な対応と資料を頂いた。
 感謝しつつ現地(大阪市浪速区幸町3丁目9番・大正橋東詰北側)に行くと、大地震両川口津波記が彫りこまれている石碑と、碑文板書原文・口語訳が書かれている説明板があり、本当に大阪市内で大津波の被害があったのだと実感させられた。
 1854年11月に発生した大地震とそれに伴って押し寄せた大津波の被害が詳しく書かれ、大地震が起きた時は必ず大津波が襲うものと心得るべきとの教訓も残され、後世の人は毎年碑文が読みやすいように墨を入れてほしいと書いてあった。
 はるばる群馬から来た甲斐があつたと思いながら、写真を何枚も撮った次第である。


 この後は、大阪城~大阪市内水上バス~京都・高台寺~八坂神社~丸山公園(坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像)~建仁寺と廻った。
 大阪城では、極楽橋を渡って城内から天守閣に行ったが、蝉がもの凄く鳴いていることに驚いた。天守閣で金の鯱鉾を撮り、下に降りて外壁にある金の虎を写した。


 大阪市内を水上バスで巡り、川の中から大阪市内を見て回った。面白いことに、この水上バスは天井が低くなる仕掛けがあり、実際に天井がぐーんと低くなるのに興味を覚えた。川の上から市内を見るのも、視界が変わって楽しかった。


 翌日は京都に半日寄って、忙しく見どころを駆け回った。
 高台寺は太閤秀吉の妻である<ねね>の墓所があり、観光客で賑わっていた。<ねね>はここに土葬されているとの事である。
 次に八坂神社へ回り、鴨とアヒルの池の側を通りながら丸山公園に行き、坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像を見た。ちなみに、秀吉は62歳・竜馬は22歳・慎太郎は29歳で亡くなっている。
 最後は、建仁寺に寄って龍の絵を拝観し帰って来た。ちょっと慌ただしい2泊3日だった。



平成23年07月01日(金)
■平成23年6月22日(水)~25日(土) 奥尻島・中標津


 先月は東日本大震災の被災地を回り、つくづく大津波の脅威を感じた。
 ただ、政治屋や東電の「想定外」という科白には腹がたった。
 被災地を回り、普代村の防潮堤が大津波を食い止めたり、釜石の奇跡といわれる子供たちの避難状況、石碑に込められた古老の言い伝えを見たり聞いたりして、人間はたいしたものだと改めて感じた次第である。
 今回は、大津波に襲われて甚大な被害を受けたにも係わらず、復興をとげた奥尻島に夫婦で行って来た。
 奥尻島は1993年7月12日の午後10時17分に、マグニチュード7,8の北海道南西沖地震に見舞われ、死者・行方不明者198人を出した。
 被害総額が約664億円に対し、復興に関する国や県の投下資金が約800億円、奥尻町はこれらの資金を使って、区画整理に高台へ続く42カ所の避難路の整備に加え、奥尻島津波館や避難場所としての望海橋などを造り、1998年3月に「完全復興」を宣言した。
 しかし、被災以前は4000人以上いた島民は、現在3000人を僅かに越す程度まで減ってしまったとの事である。
 観光客も減り、私達を案内してくれたタクシーの運転手さんも、一つの仕事だけでは食べてゆけないので、幾つも仕事を掛け持ちするのが当たり前になったとの事。ちなみに運転手さんは仕事は3つ掛け持ちしているという。
 観光客が減るのは、交通の便が悪いせいもある。
 私の例をあげると、函館空港から奥尻島迄飛行機で飛べば約30分強で着くのに、飛行機が飛ばないと分かってからバス・フェリー・タクシーを乗り継いで奥尻島へ行ったら、約7時間かかった。これでは、もう行きたくないと思うのも止むを得ないだろう。私の場合、行きも帰りも飛行機が飛ばなかった。地元の人に話を聞くと、この時期は霧が深くて飛行機が飛ばないのは当たり前だと云う。

 今回の写真は、江刺~奥尻島航路のフェリー、奥尻島のキャラクター・うにまる、奥尻島の足湯、北進岬の石彫、賽ノ河原、ホタテガイやサクラガイにアワビ等々を焼いてくれる処、高台への避難路(看板には太陽光を使い、夜でも自家発電する)、宮津弁天、鍋釣岩、津波の高さを知らせる看板、奥尻島津波館である。


 次に中標津へ飛んだ。二松学舎時代の友人が移住した所である。
都内は39.8度という猛暑だというのに、ここ中標津はストーブを焚いていた。それ位寒いのである。
さすがに北海道だけあって、実に広々としている。
近場を案内して貰ったが、牛がのんびり草を食み、巨大なフキが各所に自生している。
友人はここで朝の3時台には起きて、鹿を求めて原野を走るとの事。たくましくなるのも分かるような氣がする。
からまつの湯という秘湯の露天風呂に案内され、寒さの中を露天風呂に浸かった。良い風呂である。
友人が腕を振るった御馳走を頂いた。
自分が仕留めた鹿の肉・自宅の庭に生えている<うるい>と<行者大蒜>のおひたし、近所の川で釣った<おしゅろ>の甘露煮、近くの川を遡上してきた鮭から採ったイクラ等々、お腹がはち切れるほど食べた。苦しいなあ。



平成23年06月01日(水)
■平成23年5月25日(水)~27日(金) 飛騨高山~世界遺産・五箇山菅沼~白河郷~下呂の足湯~岐阜城


■平成23年5月25日(水)幸田~飛騨高山
 今月は、どこも出かけられないと思っていたが、月末になってどうにか時間の遣り繰りが出来た。
 会社の用事で名古屋から幸田に行き、また名古屋に戻って飛騨高山へ向かった。飛騨高山では二人静という何だか雅な名前に惹かれて宿をとった。


■5月26日(木)高山城跡(城山公園)~世界遺産・五箇山菅沼~白河郷~高山~下呂
 期待していない所は、意外と料理が美味いし、風呂も良い。朝方、女房と一緒に宿の側にある城山公園に行ったが、ここは完全な山道で高山城跡へせっせと登ることになった。山道で女房が蚊に刺された。ムヒを持参していない事を後悔しつつ、定期バスで世界遺産に向かう。世界遺産に到着し、世に有名な合掌造りの集落をじっくり見て歩いたが、やっと来れたなあと云う思いが強かった。終日、合掌造りの家々を見て、夕方には高山経由で下呂に向かい、下呂で宿をとった。


■5月27日(金)下呂の足湯~岐阜城
 下呂とは、妙な名前だなと思い観光案内所で聞いた所、「もともとは下留(しものとまり)げると呼んでいたと、続日本紀(776年)に出ていますが、時代が下るにつれげるがげろに変わったものでしょう」と説明を受けた。下呂駅周辺に足湯がかなりあり、女房と忙しく足湯を回った。
 モリの足湯・ゆあみ屋の足湯・さるぼぼ黄金の足湯・雅の足湯・ビーナスの足湯・鷺の足湯と廻ったが、一か所だけ足湯が冷たい所があり、そこだけ敬遠させて貰った。4下呂温泉は<日本3名泉>のひとつと立札に書いてあり、他は草津と有馬だと云う。
 早々と足湯を出て、岐阜城に向かう。岐阜駅前に織田信長の金像が立っており、びっくりした。普通は銅像や木像だけれど、織田信長は頭の先から足の先まで金色に輝いていた。モノレールで天守閣近くまで登り、残りは歩いて資料館と天守閣を見たが、足が疲れた。
 今回のぶらり旅は、花が少ないのが残念だったが、女房が綺麗な花を見つける都度、シャッターを押していたので、若干は花も記録に残せた事と思う。